Queen〜伝説のロックバンド〜
[QUEEN クイーン ロックバンド ロジャー・メドウス・テイラー]^QUEEN クイーンでのロジャーのちょい話^
QUEEN クイーンのドラマー、ロジャー・テイラーのちょい話。
QUEEN クイーン初期の頃、ロジャーは特にフレディと仲が良く、二人で同居しながらケンジントン・マーケットで古着を売って生計を立てていたという。
ロジャーはQUEEN クイーンのメンバーの中でもとりわけルックスがよく、初期の日本でのクイーンのアイドル的人気は、ロジャーのルックスの良さが大きな要因のひとつだったともいわれている。
QUEEN クイーン結成以前、女性と間違われるのが嫌で髭を生やしていたこともある。
デュラン・デュランのドラマーにも同姓同名のイギリス人ドラマーがいるがまったく無関係である。
現在ロジャーは息子のフェリックスと'''Felix & Arty'''というユニットを組んで、「Woman You're So Beautiful(but still a pain in the ass)」というレゲエ調の曲をMySpace上で公開している。
この曲はロジャーが作詞・作曲・ドラムス・コーラスを担当し、息子のフェリックスがボーカルを担当している。現在クイーンの公式ホームページと海外のiTunesで発売されているが、未CD化のままである。
このブログ実は⇒ブログランキング●位なんですよ。
QUEEN クイーンのドラマー、ロジャー・テイラーのちょい話。
QUEEN クイーン初期の頃、ロジャーは特にフレディと仲が良く、二人で同居しながらケンジントン・マーケットで古着を売って生計を立てていたという。
ロジャーはQUEEN クイーンのメンバーの中でもとりわけルックスがよく、初期の日本でのクイーンのアイドル的人気は、ロジャーのルックスの良さが大きな要因のひとつだったともいわれている。
QUEEN クイーン結成以前、女性と間違われるのが嫌で髭を生やしていたこともある。
デュラン・デュランのドラマーにも同姓同名のイギリス人ドラマーがいるがまったく無関係である。
現在ロジャーは息子のフェリックスと'''Felix & Arty'''というユニットを組んで、「Woman You're So Beautiful(but still a pain in the ass)」というレゲエ調の曲をMySpace上で公開している。
この曲はロジャーが作詞・作曲・ドラムス・コーラスを担当し、息子のフェリックスがボーカルを担当している。現在クイーンの公式ホームページと海外のiTunesで発売されているが、未CD化のままである。
このブログ実は⇒ブログランキング●位なんですよ。
Queen〜伝説のロックバンド〜
[QUEEN クイーン ロックバンド ロジャー・メドウス・テイラー]^QUEEN クイーンでのロジャーの活動^
QUEEN クイーンのドラマー、ロジャー・テイラーの活動をご紹介しましょう。
QUEEN クイーンのメンバーで最もソロ活動に積極的だったのは、意外にもロジャーだった。
ロジャーは、1977年に自費で限定3000枚の初シングル「I Wanna Testify (アイ・ウォナ・テスティファイ)」を発表し、QUEEN クイーンのメンバーとしては最初にソロ・デビューを果たす。
1981年には、ほぼ全ての楽器を自身で演奏した初のソロアルバム『Fun In Space (ファン・イン・スペース)』を、1984年には、セカンドアルバム『Strange Frontier (ストレンジ・フロンティア)』(当時の邦題は『ロックンロール・フロンティア』)を発表した。
これらのソロ活動においてロジャーは、娯楽としてのロックを追求したQUEEN クイーンとは一線を画した、反核ソングや、プロテストソングの大御所であるボブ・ディランの曲をカバーするなどして、社会派としての路線をうかがわせたことは見逃せない点である。
QUEEN クイーンが活動を小休止していた1987年には、オーディションでメンバーを集めて'''The Cross(ザ・クロス)'''を結成。
このバンドにおいて、ロジャーはドラムスではなく、リードヴォーカルとリズムギターを担当していた。
しかし、当初ザ・クロスは、ロジャーがライヴを行う際のバックバンド的な役割で結成されたようで、ファーストアルバム『Shove It (夢の大陸横断)』は全曲ロジャーの手によるもので、当時流行していたダンス風の影響を受けたロック曲が多くを占めており、ほとんどの楽器をロジャーが演奏したものであった。(なお、このアルバムにはフレディがゲストヴォーカルで参加した「Heaven For Everyone(ヘヴン・フォー・エヴリワン)」が収められており、後にクイーンのラスト・アルバム『Made In Heaven(メイド・イン・ヘヴン)』でリメイクされた)ため、バンドの作品というよりロジャーのソロ・アルバムといった趣が強い。
しかし1989年発表の『MAD:BAD:and dangerous to know (マッド・バッド・ロックンローラー)』では他メンバーも作曲・演奏に参加し、ハードなロックアルバムに仕上がった。
しかしこのアルバムはイギリスでチャートインできず、結果的にラストアルバムとなった『Blue Rock (ブルー・ロック)』は高い完成度だったにも関わらず、イギリスでは発売されず、ドイツと日本のみの発売となった。
結局計3枚のアルバムを発表したザ・クロスは、QUEEN クイーンとは異なるシンプルなロックを追求したバンドだったが、商業的な成功には程遠いまま解散してしまった。
それゆえ、今となってはザ・クロスのアルバムはコレクターズアイテムとなっており、復刻が待たれているところである。
フレディの死後、再びソロになったロジャーは、1994年にサードアルバム『Happiness? (ハピネス?)』を発表。アルバムはフレディの死後制作されたこともあって全体的に静かなトーンで統一されており、ネオナチを非難した「Nazis1994」や[[X JAPAN]]のYOSHIKIと競演した「Foreign Sand」も話題となった。
1998年には、現在のところ最新作である、『Electric Fire (エレクトリック・ファイアー)』を発表。ジョン・レノンの「ワーキング・クラス・ヒーロー」のカバーも収録されたこのアルバム発表にあわせて、ロジャーの別荘の敷地内で行われた「サイバーバーン・ライヴ」は当時としては画期的なインターネットで生中継され、その場でギネスからアクセス数の新記録の認定を受けた。
ロジャーのソロアルバムは近年になればなる程、完成度が高くなっているため、次作を期待する声もファンの間では大きいが、ロジャー自身はソロ活動には限界を感じ、ブライアンと再び「QUEEN」を始動させることを考えていたのであった。
このブログ実は⇒ブログランキング●位なんですよ。
QUEEN クイーンのドラマー、ロジャー・テイラーの活動をご紹介しましょう。
QUEEN クイーンのメンバーで最もソロ活動に積極的だったのは、意外にもロジャーだった。
ロジャーは、1977年に自費で限定3000枚の初シングル「I Wanna Testify (アイ・ウォナ・テスティファイ)」を発表し、QUEEN クイーンのメンバーとしては最初にソロ・デビューを果たす。
1981年には、ほぼ全ての楽器を自身で演奏した初のソロアルバム『Fun In Space (ファン・イン・スペース)』を、1984年には、セカンドアルバム『Strange Frontier (ストレンジ・フロンティア)』(当時の邦題は『ロックンロール・フロンティア』)を発表した。
これらのソロ活動においてロジャーは、娯楽としてのロックを追求したQUEEN クイーンとは一線を画した、反核ソングや、プロテストソングの大御所であるボブ・ディランの曲をカバーするなどして、社会派としての路線をうかがわせたことは見逃せない点である。
QUEEN クイーンが活動を小休止していた1987年には、オーディションでメンバーを集めて'''The Cross(ザ・クロス)'''を結成。
このバンドにおいて、ロジャーはドラムスではなく、リードヴォーカルとリズムギターを担当していた。
しかし、当初ザ・クロスは、ロジャーがライヴを行う際のバックバンド的な役割で結成されたようで、ファーストアルバム『Shove It (夢の大陸横断)』は全曲ロジャーの手によるもので、当時流行していたダンス風の影響を受けたロック曲が多くを占めており、ほとんどの楽器をロジャーが演奏したものであった。(なお、このアルバムにはフレディがゲストヴォーカルで参加した「Heaven For Everyone(ヘヴン・フォー・エヴリワン)」が収められており、後にクイーンのラスト・アルバム『Made In Heaven(メイド・イン・ヘヴン)』でリメイクされた)ため、バンドの作品というよりロジャーのソロ・アルバムといった趣が強い。
しかし1989年発表の『MAD:BAD:and dangerous to know (マッド・バッド・ロックンローラー)』では他メンバーも作曲・演奏に参加し、ハードなロックアルバムに仕上がった。
しかしこのアルバムはイギリスでチャートインできず、結果的にラストアルバムとなった『Blue Rock (ブルー・ロック)』は高い完成度だったにも関わらず、イギリスでは発売されず、ドイツと日本のみの発売となった。
結局計3枚のアルバムを発表したザ・クロスは、QUEEN クイーンとは異なるシンプルなロックを追求したバンドだったが、商業的な成功には程遠いまま解散してしまった。
それゆえ、今となってはザ・クロスのアルバムはコレクターズアイテムとなっており、復刻が待たれているところである。
フレディの死後、再びソロになったロジャーは、1994年にサードアルバム『Happiness? (ハピネス?)』を発表。アルバムはフレディの死後制作されたこともあって全体的に静かなトーンで統一されており、ネオナチを非難した「Nazis1994」や[[X JAPAN]]のYOSHIKIと競演した「Foreign Sand」も話題となった。
1998年には、現在のところ最新作である、『Electric Fire (エレクトリック・ファイアー)』を発表。ジョン・レノンの「ワーキング・クラス・ヒーロー」のカバーも収録されたこのアルバム発表にあわせて、ロジャーの別荘の敷地内で行われた「サイバーバーン・ライヴ」は当時としては画期的なインターネットで生中継され、その場でギネスからアクセス数の新記録の認定を受けた。
ロジャーのソロアルバムは近年になればなる程、完成度が高くなっているため、次作を期待する声もファンの間では大きいが、ロジャー自身はソロ活動には限界を感じ、ブライアンと再び「QUEEN」を始動させることを考えていたのであった。
このブログ実は⇒ブログランキング●位なんですよ。
Queen〜伝説のロックバンド〜
[QUEEN クイーン ロックバンド ロジャー・メドウス・テイラー]^QUEEN クイーンでのロジャーの役割^
今日は、QUEEN クイーンのドラマー、ロジャー・テイラーのご紹介。
QUEEN クイーン初期においては、フレディ・マーキュリーやブライアン・メイが作る典型的QUEEN クイーンサウンドとは異なるロック色の強い楽曲をアルバム毎に1、2曲提供し、ロッド・スチュワートにも比較されるハスキーな声でリードヴォーカルもとった。
代表的な曲として、『オペラ座の夜』に収録された「I'm In Love with My Car(アイム・イン・ラヴ・ウィズ・マイ・カー)」などが挙げられる。
また自分がヴォーカルをとらない際には子供の頃に聖歌隊で磨いた、ライヴでもフレディ以上にヴォーカルが目立つ時があるほどの高音でバックコーラスに徹した。
それゆえ、ヒット曲を出すのはQUEEN クイーンのメンバー中最も遅かったが、1980年代になると、自らはリードヴォーカルをとらず作家に徹した「RADIO GA GA(レディオ・ガ・ガ)」(全英2位、19カ国で1位)、「A Kind of Magic (カインド・オブ・マジック)」(全英3位)などポップ路線の大ヒットを連発し、後期QUEEN クイーンにおいてはヒットメーカーとなった。
また、フレディ存命時のラストアルバム『Innuendo(イニュエンドウ)』においても、名曲「These Are The Days of Our Lives (輝ける日々)」はQUEEN クイーン名義だがロジャー作だと言われている。
また、タイトル曲の歌詞も主にロジャーがまとめたと言われている。このように、ロジャーは徐々にソングライターとして成長し、QUEEN クイーン内での発言権を増していったことが窺える。
このブログ実は⇒ブログランキング●位なんですよ。
今日は、QUEEN クイーンのドラマー、ロジャー・テイラーのご紹介。
QUEEN クイーン初期においては、フレディ・マーキュリーやブライアン・メイが作る典型的QUEEN クイーンサウンドとは異なるロック色の強い楽曲をアルバム毎に1、2曲提供し、ロッド・スチュワートにも比較されるハスキーな声でリードヴォーカルもとった。
代表的な曲として、『オペラ座の夜』に収録された「I'm In Love with My Car(アイム・イン・ラヴ・ウィズ・マイ・カー)」などが挙げられる。
また自分がヴォーカルをとらない際には子供の頃に聖歌隊で磨いた、ライヴでもフレディ以上にヴォーカルが目立つ時があるほどの高音でバックコーラスに徹した。
それゆえ、ヒット曲を出すのはQUEEN クイーンのメンバー中最も遅かったが、1980年代になると、自らはリードヴォーカルをとらず作家に徹した「RADIO GA GA(レディオ・ガ・ガ)」(全英2位、19カ国で1位)、「A Kind of Magic (カインド・オブ・マジック)」(全英3位)などポップ路線の大ヒットを連発し、後期QUEEN クイーンにおいてはヒットメーカーとなった。
また、フレディ存命時のラストアルバム『Innuendo(イニュエンドウ)』においても、名曲「These Are The Days of Our Lives (輝ける日々)」はQUEEN クイーン名義だがロジャー作だと言われている。
また、タイトル曲の歌詞も主にロジャーがまとめたと言われている。このように、ロジャーは徐々にソングライターとして成長し、QUEEN クイーン内での発言権を増していったことが窺える。
このブログ実は⇒ブログランキング●位なんですよ。
Queen〜伝説のロックバンド〜
[QUEEN 音楽 ロックバンド ドラムス ロジャー・テイラー]”QUEENメンバー紹介〜ロジャー・テイラー”
メンバー紹介の最後を飾るのは、この方!
どうぞ!
@ロジャー・メドウス・テイラー(Roger Meddows-Taylor)
1949年7月26日
イギリスのロックバンド、QUEEN(クイーン)のドラマー
QUEEN(クイーン)ではドラムスの他にコーラスや、一部の曲でボーカルも
担当しており、ベースやギター、キーボードなども弾くことができる
マルチプレイヤーでもある。
1949年7月26日にイングランド東部のノーフォークで生まれる。
数年後、家族でイングランド南西部のコーンウォールに引越す。
8歳の時、ウクレレを独学で演奏するようになる。
この頃から彼は、学校で当時流行していたスキッフルのバンドを
友人たちと結成して演奏していた。
1960年に、音楽奨学金でトルロ大聖堂学校に加わり、聖歌隊として
結婚式やクリスマスなどのあらゆるイベントで歌うことになる。
この頃に磨いたコーラスの腕前は、後のQUEEN(クイーン)においても
大きな役割を果たすこととなる。
また、この頃までに彼はギターを演奏できるようになっていたが、
徐々にその関心はドラムスの方へと移っていく。
ロンドン・ホスピタル・メディカル・カレッジに進学するが、「一生分の歯を見た」
と、歯科医になることには嫌気が差したため、
2年後にノース・ロンドン工芸大学に入学、生物学を専攻、
最終的には学科の理学士号を取得。
このブログ実は⇒ブログランキング●位なんですよ。
メンバー紹介の最後を飾るのは、この方!
どうぞ!
@ロジャー・メドウス・テイラー(Roger Meddows-Taylor)
1949年7月26日
イギリスのロックバンド、QUEEN(クイーン)のドラマー
QUEEN(クイーン)ではドラムスの他にコーラスや、一部の曲でボーカルも
担当しており、ベースやギター、キーボードなども弾くことができる
マルチプレイヤーでもある。
1949年7月26日にイングランド東部のノーフォークで生まれる。
数年後、家族でイングランド南西部のコーンウォールに引越す。
8歳の時、ウクレレを独学で演奏するようになる。
この頃から彼は、学校で当時流行していたスキッフルのバンドを
友人たちと結成して演奏していた。
1960年に、音楽奨学金でトルロ大聖堂学校に加わり、聖歌隊として
結婚式やクリスマスなどのあらゆるイベントで歌うことになる。
この頃に磨いたコーラスの腕前は、後のQUEEN(クイーン)においても
大きな役割を果たすこととなる。
また、この頃までに彼はギターを演奏できるようになっていたが、
徐々にその関心はドラムスの方へと移っていく。
ロンドン・ホスピタル・メディカル・カレッジに進学するが、「一生分の歯を見た」
と、歯科医になることには嫌気が差したため、
2年後にノース・ロンドン工芸大学に入学、生物学を専攻、
最終的には学科の理学士号を取得。
このブログ実は⇒ブログランキング●位なんですよ。

はてなに追加
MyYahoo!に追加
del.icio.usに追加
livedoorClipに追加
Googleに追加
Technoratiに追加
Buzzurlに追加
Diggに追加
Bloglinesに追加
DRECOMに追加
niftyクリップに追加
pookmarkに追加
pingkingに追加
Choixに追加