Queen〜伝説のロックバンド〜

[QUEEN クイーン ロックバンド ジョン・リチャード・ディーコン]^QUEEN クイーンでのジョンの活動^


今日は、QUEEN クイーンのベーシスト、ジョン・ディーコンの活動についてお話しましょう。


ジョンは歌うことができないため、QUEEN クイーンの他のメンバーのようにソロアルバムは発表することはなかった。

しかし、QUEEN クイーン以外のミュージシャンとコラボレートして発表した作品はいくつか存在する。

まず1983年にシン・リジィのスコット・ゴーハム、バッド・カンパニーのサイモン・カークとミック・ラルフス、プリテンダーズのマーティン・チェンバースらと「MAN FRIDAY and JIVE JUNIOUR」名義で、ジャム・セッションから生まれた「Picking Up Sounds」を、また1986年には、イギリス映画『Biggles』のための即席ユニット「The Immortals」名義で、ジョンが作曲に携わった「No Turning Back」をそれぞれシングル発表している。しかしどちらも、商業的に成功することはなかった。

ちなみに、後者の「No Turning Back」は、後に本田美奈子.が「ルーレット」と改題して日本語カバーしている。

フレディの死後は音楽活動からは消極的になったようで、フレディ・マーキュリー追悼コンサートの参加にも当初は否定的で、ブライアン・メイとロジャー・テイラーの説得によってようやく参加を決めたという。

フレディ抜きのQUEEN クイーンに彼が参加した企画は以下の通り。

フレディ・マーキュリー追悼コンサート(1992年 4月20日、イギリス・ウェンブリースタジアムで開催)

モーリス・ベジャールバレエ団による「バレエ・フォー・ライフ」のオープニングイベントでエルトン・ジョンをボーカルに迎えての「ザ・ショウ・マスト・ゴー・オン」の演奏(1997年1月17日、パリで開催。このバレエはフレディとモーリス・ベジャールバレエ団に所属していてエイズによって1992年に亡くなったジョルジュ・ドンに捧げられた物で、クイーンの曲に合わせてバレエが披露される)

アルバム「クイーン・ロックス」に収められたノー・ワン・バット・ユー(オンリー・ザ・グット・ダイ・ヤング)(1997年発売。ダイアナ妃とフレディに捧げられた新曲。ゲストボーカルは迎えず残された3人での演奏)

ミュージカル「ウィ・ウィル・ロック・ユー (ミュージカル)」の初期構想への参加(2004年頃)

1997年以降、完全に表舞台に出てこなくなったため引退したかどうかも不明だったが、QUEEN クイーンと付き合いの長い東郷かおる子が寄稿したクイーン+ポールロジャース日本公演(2005年)のパンフレットには「音楽業界から引退」と書かれている。

イギリスのリッチリストによると、「ジョン・ディーコンはツアーには参加しなかったが、著作権使用料と、ミュージカルWe Will Rock Youの長きに渡る成功により、利益を得た。」となっている。

最近ではMyspace上に自分のページを設けたり(そしてすぐに閉鎖)、時折自分のファンサイトに書き込みをするなどして、ファンを驚かせている。





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[QUEEN クイーン ロックバンド ジョン・リチャード・ディーコン]^QUEEN クイーンでのジョンの役割^

今日は、QUEEN クイーンのベーシスト、ジョン・ディーコンのQUEEN クイーン内での役割をちょっとだけ、ご紹介します。

ジョン・ディーコンは、自分では歌が歌えないのと、QUEEN クイーン内では最年少だったこともあってか、当初の存在感は薄く、また他の3人に比べると作曲を始めるのが遅かったが、3枚目のアルバム『シアー・ハート・アタック』収録の「ミスファイアー」で初めて自作曲が採用される。

すると4枚目のアルバム『オペラ座の夜』では2曲目の自作曲にして早くも全英7位、全米16位のヒットとなる「マイ・ベスト・フレンド」が収録され、その後はアルバム毎に自作曲を1、2曲提供するようになった。

この曲ではフレディが生ピアノでなくては弾きたくないと拒んだため、ジョン自身がエレクトリックピアノを弾いている。

この中で全米1位、全英7位、全世界で700万枚セールスを挙げたQUEEN クイーン最大のヒット曲「地獄へ道づれ」、全英3位、世界数カ国でナンバーワンヒットとなった「ブレイク・フリー(自由への旅立ち)」など、寡作ながらもQUEEN クイーンの代表曲となる曲を発表していき、QUEEN クイーン内での存在感を徐々に増していった。

また、ブライアンのために小さなギターアンプ「Deacy(ディーキー)」を自作、ブライアンはレコーディング時にこれを重宝し、あの独特なサウンドを次々と生み出していった。

QUEEN クイーンのファーストアルバム『戦慄の王女』のクレジットでは、'''ディーコン・ジョン'''とクレジットされているが、これはそのほうが響きがいいからという理由で、メンバーから逆にするように勧められたことによる。

実際に初期の音源では、司会者にディーコン・ジョンと紹介されていることから、誤植などではなく意図的なものだということがわかる。なお、セカンドアルバム以降は普通の表記に戻っている。




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Queen〜伝説のロックバンド〜

[QUEEN 音楽 ロックバンド ベーシスト ジョン・ディーコン]”QUEENメンバー紹介〜ジョン・ディーコン”


つづいては、この方!

@ジョン・リチャード・ディーコン(John Richard Deacon)
 1951年8月19日
 ロックバンド、QUEEN(クイーン)のベーシスト。
 QUEEN(クイーン)メンバーで、最年少。

7才の時に両親から与えられた玩具のギターから音楽に興味を持つ。

音楽と並行して機械にも興味があり、無線装置などで遊んでいた。

この機械に対する興味が、彼の進路と音楽活動に影響を与えることになる。

新聞配達で稼いだお金でアコースティック・ギターを購入したのが
本格的な音楽活動の第一歩。

14才からジ・オプジションというバンドにリズムギターで加入、しかし、
そこにいたベーシストが次第に、バンドのレベルについていけなくなり脱退。

ジョンがベースに転向することになる。

後に同じ名前のバンドが出現、ザ・ニュー・オプジション、
さらにジ・アートという名前に改名することになる。

このバンドはジョンがロンドン大学分校・チェルシーカレッジ電子工学科に
入学するまで続けられた。

大学に入ってからは学業に専念。チェルシーカレッジでは、
なななんと!首席で卒業し、名誉学位を与えられた!


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